ラ・ボルドからの連想

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ラ・ボルドからの連想

 とあるサイトのコメント欄のやりとりを見て、とある文章を思い出した。以下、全文引用。

(朝日新聞,1998/4/9,私空間,池田香代子)

 ラ・ボルド

 ドキュメンタリー映画「すべての些細な事柄」(監督ニコラス・フィリベール、配給ユーロスペース)の試写を見た。
 森の中の城が精神病院になっている。城の名はラ・ボルド。そこでの日常とオベレッタの練習風景が淡々とつづられる。
 ラ・ボルドは、悲痛な心情をもてあましている人たちが、なんとか生をこなしていける場所になろうとしている。彼らを支えるのは森をゆする風の音。芝生に降る雨の音。そして献身的なスタッフと多量の薬。
 カメラは、ずかずかと対象に踏み込むようなことはしない。ここにあるのは、「やあ、ニコラ」とすれ違いざまに声をかけられるようなカメラだ。
 初めはひるみながら、でもだんだんくつろいで、ともにカジュアルな服を着た病者やスタッフとしばらくいっしょにいたら、私の底が抜けた。ああ、なにもかももうどうでもいいんだよ、今日一日を過ごしただけでも、すごいことだと思わない?
 ラ・ボルド。どこかで聞いたことがおありの方もいらっしゃるだろう。フェリクス・ガタリが息を引き取ったところだ。四十年前、カウンセラーのジャン・ウーリーとともに、自分のような者の居場所としてこんなところがあったら、と話し合って作った施設だ。
 ラ・ボルドは居場所だ。病院でも収容所でもない。私というやっかいなものを騙し騙しやっていくことに疲れた、すべての人のための、居場所。
 今も、ラ・ボルドの人びとが歌っているオリジナルサウンドトラックを聴くと、まるで彼の地にいるかのように、心がほどけてくる。



 私はこの映画を見ていないので、映画について何も言える事はない。ただ、上記池田香代子氏の文章を読むだけで、私自身も少しは救われた気がして、この新聞記事を切り抜き、スクラップブックに貼っておいた。


 さて話は変わって、このカメラは、「やあ、ニコラ」と声をかけられるようなカメラだが、多くのジャーナリストは取材先にとって不愉快だ。彼らは他者に土足で踏み込み、撮影し、無神経な言葉を投げかけ、それを編集して記事に仕上げる。R30氏は言う。

僕が会社に入って最初に上司から習ったことと言えば、「いいか。取材先が電話してきて文句を言って、それがどんなに“筋が通ってる”と思えるクレームでも、絶対に電話口で『すみませんでした』って言うんじゃねえぞ」ってことだった(笑)。多くの人が勘違いしている部分もあると思うが、マスコミというのは組織的に「謝らない、傲慢な人間」を育てる。なぜなら読者や取材先1人1人にいちいち謝っていたら仕事なんかできなくなるから。それが「マス・コミュニケーション」というものだから。
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/01/karamare.html


「マスコミは、やくざ者より始末におえない悪辣(あくらつ)な存在」だとして文書を配布した特捜部長がいた。むべなるかなというところではある。



 また話は変わる。
 グレッグ・イーガン「万物理論」の主人公、アンドルー・ワースは科学専門のジャーナリストだが、彼もジャーナリスト的傲慢さを持っている。取材先の一人、自発的自閉症者協会のジェイムズ・ロークはこう指摘する。
 

「意見を異にしたり、理解できなかったりする人に向けて、あなたが提供できる、もっとも押しつけがましい事はなんですか?」
「さあ。なんですか?」
「その人びとを治癒すること。それが最初のHワードです。健康(Health)」



 彼は続けて言う。医療技術が極限まで進歩し、全ての病気が治療可能で、あらゆる人体が改変可能になった場合、"健康"とは何か?と。
 永遠まで生きること?それとも生物循環的には最適化されている30代か40代で死ぬこと?一夫一婦制を守り、エデン主義的に求められる性的役割や人間性をこなし続けること?それとも技術的に可能なあらゆる態様に変化しつづけること?(アップルシードの双角みたいなのがゾロゾロ)
 
 ロークは語る。

 「(略)その場合、自分は"健康"と"疾病"の境界を定義する専門家だと主張した人が……すべてを決めることになります。」



 マスメディアにおいて、境界を定義するのは誰か?それは素材を集め、編集し、番組を作るジャーナリストだ。番組中に出てくる専門家ではない。それは番組の構成要素に過ぎない。ジャーナリストによって、"健康"が定義され、"不健康"な人達が決定される。そして健康な人達は賞賛され、不健康な人達は"治癒"されるべきだとする。

 さて、自発的自閉症者協会のジェイムズ・ロークは、部分的自閉症者であり、彼はラマント野の移植による治療ではなく、ラマント野の切除による完全自閉症になることを望んでいる。その部分に関しては、あとりの本棚にて上手にまとめられているのでここに引用する。
 

中でも興味深いのが、ラマント野を切り離した生き方の提唱だ。脳のこの器官は、脳全体に散らばった個々の他人に関する記述を自動的に統合して解釈する唯一の場所だという。この器官が損傷を受けると、その度合いに応じて自閉症者となる。《自発的自閉症者協会》はこのラマント野を完全に切除する権利を求める団体で、これを切除することでより良く生きられると主張する。切除することで愛情を求める欲求と愛情を得る能力のバランスがとれ、求めても得られないという事態に煩わされる必要が無くなると言うのだ。
(中略)

愛情とは、自分が愛している人々を、自分自身を理解するのとほとんど同じかたちで理解できるという信念にほかならず、その信念をもてば脳から快楽という報酬をもらえるわけです」(P89)



ラマント野が生み出しているのは幻想にすぎないかもしれないということを認識し、それを切り捨て翻弄されずに生きる生き方。確かにそれもひとつの選択肢で、幻想に苦しみながら生きるよりは、ノイズを切り捨てた方がより良く生きられる場合もあるのだろう。


 上述されていることと被るが、ロークは、ラマント野が人間に与える力とは、愛情への飢え、他者への飢えであり、またその飢えを満たしたと錯覚させる他者理解という名の自己欺瞞能力だ、とする。そしてロークは、飢えのみを与えられ、自己欺瞞能力は与えられず苦しんできた、だから飢えも切除することを選択するのだと。しかし、このロークの主張に対してアンドルー・ワースは反発する。
 

「損害なんてどうでもいい。いまあなたがしているのは……人間性の根本に関わるものを、故意に――外科的に――自分から取り除くという話なんだぞ」
 ロークは床から顔を上げて、平然とうなずいた。ようやくぼくが、両者が完全に合意できることを口にしたかのように。
 そしていった。「まったくそのとおりです。そしてわたしたちは、対人関係の根本に関わる真実と共に何十年か生きてきました――そしてわたしたちは、脳組織の移植で快楽を得る代償にその真実を手放したりはしないことを、選択したのです。いまわたしたちが望むのは、その選択を完全なものにすること、それだけです。あざむかれるのを拒絶したがために罰せられているといういまの状態を、終わりにすること」



 ここで深奥にあるテーマは"健康"とは何か。だ。
 アンドルー・ワースはロークの選択を"人間性を欠く"と非難したが、この後、ロークにより"人間性を欠く"という反論は最も知的に怠惰な反駁だとやり込められる所も、万物理論の読み所の一つだろう。


 追記 1/29 14:53 イーガンの万物理論は、様々な要素が詰め込まれた凄い本だと思うんだけど、どーも人にはお勧めできないと思えてしまうのは、この本で繰りひろげられるネタや論争は極端で狭量なものが多いんだよねえ。
 健康を巡る争いにしても、最初から全部認めて、各人を尊重しつつそれぞれが(他人の権利を害しない範囲内での)好きな有り様を目指してゆく社会、でいいじゃないかと思うんだけど、そうはならない。(まあ現実だってそうではないけど。)んで、あああるべきだこうあるべきだと喧喧諤諤な議論が展開される。
 まあ、そもそもがジャンクDNAって企画で極端な例を取り上げて語っているわけではあるけど。
 他の、カルト集団間の主義主張の違いやエデン主義にしても、それぞれが異なる主張をしつつも、とりあえずはお互いを認め合うか無視するかしながら、併存できないのかと思うのだけれど、作中では思想の序列がきちんとあって、その順位が正しいから正しい順番に並べ、誤った考え方は消えなさい、って感じだもんなあ。うーむ。
 他には、様々なネタを詰め込んでいるのはいいけど、イマイチ上手く機能していないというか文章力が足りていなくて、イーガンの表現したかったであろうものがあまり表現できていないもどかしさも感じる。上述の健康論議にしてもそう。お世辞にも上手い文章や展開とは言えない。(単に訳者がマズイだけかもしれないが)

 それを思うと「しあわせの理由」なんかはかなり上手くなってるってことだろうか。うーむ。

 ということで、小説を書くなら、穏当でありきたりな風景の中に異質な物を放り込んでその影響を見た方が、読者の共感を呼べていいですよって感じだろうか。
 万物理論は、最初から最後まで極端なものばっかりだからなあ。
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コメント(-件)(4件)

スターリン閣下:

めむひさんこんにちは。トラックバックありがとうございます。
このエントリーを最初に読ませてもらって、最初に感じたのは「生」とはなんだ?ということでした。
それと私の考え方の立場は、おそらくは健康をおしつけるようなアンドルー・ワース(この固有名は健康博士のアンドリューワイルを皮肉ってるんでしょうか)の立場に近いだろうなということでした。
それと同時に、私の今置かれている立場はロークに近いだろうなと思います。
でも他者や愛情への飢えを、ラマント野なるものをすっぱりなくしてしまいたいかというと私は多分その提案は拒否すると思います。
しかしそれと同時に何十年もそのような他者や愛情への満たされぬ飢えを抱えてる人間に対面した時に、件の提案を却下することはできないような気がする。
今まで頑張ったんだからもう楽になってもいいよ、て言うような気がします。
ていうかたしかにめむひさんのおっしゃる通りに、イーガンの万物理論は「この論争は極端で狭量」すぎすぎです!ずるいです!
それで、今私にさしあたって書けることはといえば、多分これぐらいしかないです。
というわけで長々と大変失礼致しました。それでは。

  • 2005年01月29日(土)17:06:05
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めむひ:

イーガンの描く論争が狭量に見えてしまうのは、イーガンが様々な主義主張をニュートラルに並列するのではなくて、世の中の支配的な価値観(キリスト教的)vsそれに虐げられているマイナーな価値観(いろいろ)、という対立構造、価値観の生存を巡る戦いとして描いているからで、どうも「他の価値観を認める=自分の領土が減る」みたいな考え方が登場人物全員の意識下にあって狭量になってる感じなんですよねえ。
こういう構造で描くと、マイナーな価値観側からすれば、声を上げなければメジャーな価値観に押し潰されてしまう(押し潰されている)、という危機感や被虐意識はよく分かるのですが、そうして彼らが頑なになるから、メジャーな価値観側もムッとして反発する、それでマイナー側は更に頑なになる、という悪循環もあって、とはいえこういう構図は現在日本でも見られる構図だし、悪循環だとしても主張しなければそもそも認めてもらえない、という切迫意識もあるし、悩ましいところです。うーん。
(構造そのものの認識を変えてアプローチしろ、といってもやることは実質同じになりそうだ…けれど、気分的には楽になるんじゃなかろうか)

で、主人公のアンドルー・ワース君は、時にメジャー価値観の代弁者であり、時にマイナー価値観の代弁者でもあるのですが、アンドリュー・ワイルとの関連はよく分からないです。でも偶然の一致とは思えないし、何らかのアイロニーなりメタファーなりありそうですね。

あと、イーガンの描く未来社会は、生活のあらゆる場面に知的所有権の網の目が張り巡らされていて、科学技術の発達したとても便利な社会ではあるけど、どこかのだれかに特許料を支払わずにはなにひとつできない、という、典型的な知財悪夢社会でして、その辺はビル・ゲイツみたいな人が世の中どんどん増えていく傾向にある現代社会だと実現化しそうで怖いから、DRMやコリー・ドクトロウを取り上げてるはやしさんがなんとかしてくれるだろうことを祈って、乾杯

そもそもこの文章は、ラ・ボルドといえば冒頭に挙げた文章が良かったなあ、あと、はやしさんの自閉症児の話と心のバリアフリー、についてうんうん考えつつ思いついたことを書き並べただけなのですが、自ら選択してのラマント野切除というのは、ある意味究極のバリアフリーではありますよね。
切除しても以前と変わりない社会生活を送れるのなら、それは選択肢の一つとしてアリなのかも、と思います。勿論自分はイヤだけど。怖いし。
ですが、私には、こんなねじくれた形でしか、心のバリアフリーの実現方法が思いつかないのも確かです。

閣下コメントありがとうございました。旅行楽しんでくださいませ。ではでは。

  • 2005年01月29日(土)19:51:18
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はやし:

あら、めむひさん、ご覧になられていましたか!

って、白々しい書き出しだけど、池田さんが朝日に書かれたもの、知りませんでした。とてもいい映画評だと思います。

で、イーガンはまだ未読なのですが(けち臭くもブクオフ落ちするのを待ってる。昨日もブクオフ行ってみたけど、なかった)、めむひさんが紹介されているようなことは、ほぼもう現実のものとなりかけていると思います。ここいらのことは生命倫理やら何やらと言われているところで喧しく議論され、健康や生命といったものがいまや医者のものとなってしまった事態を指して「生-政治」と言い、それに抗おうという動きもあります。

こうしたことに関してぼくはまだ何かを言えるという感じがしないんだけど、ラマント野切除に関して閣下が言ってたことにも通ずる、「生きているのが辛くて辛くて死んでしまいたい」と言う人に、「いや、それでも生きろよ」と果たして言えるか、というのが、生命倫理や生-政治を云々する上で、まず考えなきゃならんことかなあ、と思う。

「死にたい」と言う人に、「生きろ」と言えるか? 残念ながら(本当に、残念ながら)、ぼくはそういう人に正面から「いや、生きろよ」とは言い切れる自信がない。そりゃたとえば、これは立岩真也があげていた喩え話だけど、眼前に自殺しようとしている人がいたら多分止めはするだろう、でも……という感じ。

で、ラマント野切除が究極のバリアフリーということ……うーん、むずかしい。なやましい。というのも、そこまで極端な話じゃなくっても、いわゆる「バリアフリー」って、下手すると新たなバリアで囲い込んじゃってるんじゃないか?って気もするんですよねえ。あと、親切の押し売り臭くってうっとうしい、って感もあるし。うーむ。

あ、何かDRMがらみのことで「乾杯」されてるぞ。いやあ、ぼくもね、「やばいよ」とか、「ちょっとちょっと、こんなことになってるみたいよ」って感じでやってはいるけど、実効性ということを考えたときに、果たしてこういう草の根的な下からの突き上げってのはどれだけのものか、と思うとこもあって。下からの突き上げじゃなくっても裁判に負けちゃってたりするしさ。とはいえ、やらぬよりマシ、ともおもうけど、どうなんだろ。

そんなかんじで、何か異常にまとまりのないコメントになっちゃったけど(って、コメントになってるかすら、疑問)、勘弁してください!

では!

  • 2005年01月30日(日)10:27:58
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めむひ:

はやしさんコメントありがとうございます。
生-政治って具体的にどういう事象を念頭に置いてるんだろう、等と思ってググって見たけど、結局はやしさんの説明以上の物はみつけられず。なんかスペクタクルの社会やポスト・フォーディズムとかがキーらしいけど、スペクタクルの社会については、はやしさん以上に言及してる人はいなかったので、はやしさんの翻訳解説待ちにします(ぉぃ

生命倫理問題について私の頭に浮かぶのは、自殺と脳死とバイオテク関連です。で、自殺の倫理的是非については、周囲がアレコレ言ったところでやった者勝ち(死に逃げ)なんで語ってもしょうがないかなと。
眼前の自殺は止めますけど…(止めてほしいかもしれないし)

「死にたい」という発言に関しては、私は生死の問題というよりはコミュニケーションの問題で捉えてます。
で、発言者にとっては「死にたい=逃げたい」だけど、聞き手にとっては「死にたい=助けて」であって、そのヘルプミーに対して自分が何をできるのかが最も問われる部分じゃないかな、と。
それで、助けてあげられるなら、「たすけるよorごめんね」だし、助けてあげられないなら「ごめんね、自力で何とかして下さい。私にできることは無責任なアドバイスをするだけです」という気持ちを秘めつつ「イキロ」と言うしかないな、と。

脳死とバイオテクについては、私の手には負えないのでもーワケワカランって書いて逃げます。ダダダッ。

> ラマント野切除が究極のバリアフリー
「脳を器質的にイジることにより、その人が人生や社会に適応しやすくする」ことの極端な例ですけど、脳の機能が完璧に解明された未来なら、あり得る選択肢かなあと。でもよく分からないまま、とりあえず取ったら楽になりそうだから取っちゃえ、で切除されたらヤですね。ロボトミー手術とか。アップルシードならエルビス計画でエヴァなら人類補完計画とかもこのライン上と考えていいのかな?
(エルビス計画や人類補完計画は作中でキチンと説明されてないから、「器質的にイジる」のかどうかは知らないですけど。)
何にせよ、「人間性」というものが主題に来るので話がややこしくなるのだけど、人間性ってなんだ。うーん。
> にんげん-せい 0 【人間性】
> 人間を人間たらしめる本性。人間らしさ。
> 「―を失う」

>知財
とりあえず、ジャスラックやsarahはメチャ腹立ちます。特にsarah http://www.sarah.or.jp/
トップページの「新しい文化の息吹のために」って言葉が更に腹立つ。勝手に権利でっち上げて金儲けしやがってクソ団体が。といってもsarah周辺で動いている金は年間22,3億程度っぽいから、まあ彼らにとっては小銭稼ぎの範疇だろうけど。あーうらやましい。
DRM問題は、私はよく知らないので、これもはやしさんの翻訳待ち(ォィ BoingBoingは英文だし読むのめんどくさいなあ、ラプターさんあたり翻訳サイト作ってくれないだろうか(他力本願
オープンソースだGPLだとかになると、大元が変わると子も変わっていくという部分ですげーややこしくて私にはついていけないす。牧歌的な時代はもう終わってしまったのね、という感じ。バイオや薬学ももう完全にお手上げ。
でも私も経営法務や経営戦略の観点からある程度は知財の勉強しとかないとマズイんだけどなあ。

とかなんとか、とりとめもない文章を書き捨てです。ではではっ。

そうそう、イーガンを読まれるなら、最初は「祈りの海」がオススメです。私は冒頭二つの短編でガツンとやられました。

  • 2005年01月30日(日)16:40:58
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